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日付が変われば、
明日はツグ1歳のお誕生日。

ああ、1年前のまさに今頃、
「これは間違いなく陣痛・・」と思い、
急いで最後の入院準備をし始めた頃でした。

あれから1年も経っただなんて。

本当に早すぎて、
今こうして振り返ると、
まるで早送りで過ごした時間のようです。


思えば、ツグを我が家に迎えたこの1年、
「赤ちゃん」という存在を思いきり堪能し、
毎日愛でて愛でて、
繰り返し味わった1年でした。

牛の反芻にも負けないと思う。笑


でも、そんな0歳という特別な1年間も
今日で終わりだと思うと、
寂しさが募ったtoday。


今朝、ツグが起きた時
「おはよう、0歳のつぐたろう」
と声をかけました。

朝ごはんをあげても、
「0歳の朝ごはんはこれで最後か」なーんて思い、

着替えをさせる時も、
「0歳最後はこの服にしよう」などと考え、
(結局寒くて、フリースのカバーオールを
ずっと着せてたので、考えた意味ナシ。)

我ながらバカだなーと半分笑いながらも、
一事が万事、この調子。


いや、11/22が11/23になったからと言って、
ツグの見た目や行動が
一変するわけでもないし、

「今日と明日」というものは、
「昨日と今日」と同じように、
単に連続する2日間なのだから、
別にそう感傷的になる必要もない。


そんなことは、
重々重々わかっているのだけれど、

もうこの先、自分の人生で、
0歳の赤ん坊を我が子として
この手に抱くことがないかと思うと、
どーしても切なさがとまらず。

ああ、私の手から、
この愛しき0歳児が、
もう過去のものとして
スルスルと流れ過ぎてしまう。涙


ツグは、3人の子どもの中で、
胸を張ってダントツに
手をかけられていませんが、

(失われゆく)赤ちゃんらしさへの愛おしさは、
ダントツに感じた子だったように思います。


そういえば、上2人が赤ん坊の時は、
日焼け止めをほとんど塗ってあげたことが
ありませんでした。

ズボラな私は、
こまめなケア、というものが苦手で、
塗り忘れたら「まあいいや」とそのままだったり、
嫌がられたら面倒で「まあいいや」となったり、
赤く日焼けするタイプじゃなかったことから、
少々の日焼けはアリでしょ!と開き直っていたり。


でも!
ツグは、割とマメに日焼け止めを塗ったのです。
なぜなら、この赤ちゃんらしい
白い柔らかな肌を1日も長く守りたかったから。


同じような例でいえば保湿もそう。
上2人の時は、お風呂上りでも冬場でも、
大した保湿をしたことがなく。

そんな過保護に手をかけなくても、と思っていたし、
今思えば不思議なほどに毎日バタバタで、
自分の保湿すらままならない感じだったから。

でも!
ツグは、今も毎日、お風呂あがりに
ローションで保湿してあげています。
(顔だけですが)

理由はもちろん。
もちもちでぷくぷくの頬を
1日でも1秒でも長く保っていたいから。


そんなこんなで、
ツグのため、というよりも、
この赤ちゃんらしさを守るためなら、
何だってできる私でした。


それなのに、
そんなツグが、
ついに1歳になってしまうわけです。

めでたいことなんだけど、
明日になると、
もう「0歳のツグ」はいない。
「1歳のツグ」になる。

・・・なんだか、それって大きく違う。
0歳と1歳じゃ、全然違う。

この気持ちをどう表現したらいいのか。
切ない、という単語以外に
言葉が見つからず、途方にくれそうな今です。


ちなみに、
さっきお風呂あがりに授乳して、
ツグが腕の中で眠りにつき、
寝室に寝かせに行った時、

ベッドでスヤスヤ眠るツグに
「さよなら、0歳のつぐたろう」と
声をかけたら、
思わず泣きそうになってしまいました。

バカすぎるけどほんとの話。


振り返れば、この1年。

いつもニコニコと満面の笑みを見せてくれたツグ。
どーーーんと構えて、
ちょっとしたことには動じなかったツグ。
指を「カトちゃんぺ」みたいに2本しゃぶっていたツグ。
頬がこぼれ落ちそうなほどにタプタプなツグ。
何かを頬張ると、
ハムっという表現がピッタリの口元になるツグ。
友蔵みたいなお爺さん顔がお得意だったツグ。
口をほえーと開けて、よくのんびりしていたツグ。
のっしのっしとハイハイするツグ。
信じられないほどモグモグとたくさん食べるツグ。
手をブンブン振って喜びを表現するツグ。
髪の毛が全然のびないツグ。
とっても得意げな表情で立っているツグ。
・・・・

そんな0歳のツグの全てに
ただただ、愛おしさと感謝の気持ちで
いっぱいです。


もう0歳のツグには会えないけれど、
この0歳から地続きで続く1歳に、
この愛おしさも引き継がれるに違いなく、

きっとこうして、
どの親も末っ子には甘くなるのだろう、と
肌で感じた1日でもありました。


ありがとう、0歳のつぐたろう。
こんにちは、1歳のつぐたろう。

君のおかげで、
私の怒涛の日々に、
優しい風が吹いてくれます。

これからもどうかお手柔らかに。


歩くのも、おしゃべりするのも、
まだまだ先でいいよ〜。
そう本心から思う母なのでありました。


さ、どんなお誕生日になるかなー。

みは嬢は、
何かプレゼントを作ってあげると
張り切っているし、

キュンタロウは、
「1歳の日になったら歩くんでしょ〜?」
と、妙に信じています。笑


お・・・
いよいよ日付が変わりそう。
惜しんでばかりいないで、
こう言ってあげねば、ですね。

「おめでとう、1歳のつぐたろう。」

ツグ寝顔 
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私がブログを書くワケは
もう非常にシンプル明快、
私が、とてもとても忘れっぽいからです。笑

忘れっぽいというのは、
日常生活の中で忘れ物が多い、とか
そういう意味ではなくて、
(いや、忘れ物も多いけど。笑)

日々の思いや気づきや出来事を
なんだかすぐに忘れてしまう。

よほど強く印象に残ったこと以外、
ササッと頭の奥の引出しにしまいこまれるか、
サクッと断捨離される質で・・。

「脳の整理機能が高いのよ」と
冗談半分に正当化しているのだけれど(笑)、
正直、さみしいことも多い。

日常をしょっちゅう共にしている妹に、
「あの頃、キュンタロウ、こんなだったよね」
なーんて言われて、
本気でピンとこないことがあったりして。
妹の方が、うちの子の成長の軌跡を覚えてる。苦笑


その一方で思うんです。

子育て中の尊さって、
そんな日常の数々にこそ
あるんじゃないかと。

何ヶ月の時に寝返った!とか、
1歳何ヶ月で歩いたとか、
やれ、誕生日、クリスマスに何をしただとか、
そんな節目の記録もいいけれど、

いつかずっとずっと先に振り返った時、
本当に懐かしく思うのは、
心から愛おしく思うのは、
もう一度味わいたいと思うのは、

今でこそ何気ない
日常の風景の方なんじゃないかと。

そんな日々に自分が何を思い、
どう感じていたのか、
それこそが、かけがえのない記録なんじゃないかと。
心底思うわけです。


だから、
言葉にして残しておかなければ、
どんどん流れていってしまうこの日々を、
少しでも形にしておきたい一心で。

たとえ些細なことでも、
心が動いた出来事こそ、
その心模様を言葉に変えておきたい一心で。

実は、毎度、
自分でも笑えるほど懸命に、
ブログを書いています。


ものすごーーくキレイな言い方をすれば、
未来の自分に宛てて、
宝物を残すような気持ちで、

そして、現実的なところで言えば、
「断捨離されてしまうその前に・・・」
という強迫観念に突き動かされ、

脳内を絞り出すように
書いているブログなのであります。


いや、ほんと、
まさに「絞り出す」がぴったり。


なんせ、
「心模様を言葉にする。」

「しかも、自分自身が、
後からでも読みたいと思える文章にする。」

「そして、ちょっとカッコつけるなら、
読んでくれる人が、たとえ短時間でも
読む時間をかけるに値するものに・・。」


これが、
いつもいつも一筋縄ではいかなくて、
キーボードをタイプしては、何度も消し、
行きつ戻りつしながら、書き進める深夜。

しかも、深夜って、
ついつい文章も冗長になりがちだから、
書き上げてもその場ではアップせずに、
翌日に読み返して、
推敲してからアップしたりする始末。

何なの、この力の入れようは・・・。笑


別に仕事でもないんだし、
これにこんなに時間を使うくらいなら、
その分寝るか、
それこそ仕事をするか、
翌日の家事や子供達の準備を進める方が
よほど子どもの為だし自分の為だと
ほんとに思うんですよ。
(まさに今もね。時刻は3:31。yeah!)


でも。
実際に時々訪れるからやめられません。
やっぱり書いてて良かった、という瞬間。

過去の自分から、
小さな宝物を受け取る瞬間があるわけです。


その瞬間を私によく届けてくれるのが、
Facebook大先生の
「過去のこの日」という機能!

先日もそうでした。


ちょうど1年前の今頃に書いたブログ。
【秋の夜長と母の聖域】


これが、先日Facebookで出てきて、
あれから1年かあ、と思いながら開いてみて、
見事にその出来事を忘れかけていることに唖然とし、
(あんなに感動したくせに)

あの日、じんわりと胸にしみた
母である幸せを再度かみしめた昼下がり。

そして、↑のブログに書いている”聖域”を
確かに、現在も進行形で
子ども達から感じさせてもらっていることに
あらためて心が温まったひと時でもありました。


それほどのことなら忘れるなよ!
ってツッコミも満載なのですが、苦笑
きっと日常がいっぱいいっぱいすぎて、
脳が自動的にキャパ調整してるのかな。


嗚呼、そういえば、
最近キュンタロウを抱っこすることが
随分減ったなあ・・・。

相も変わらず
キュンタロウ溺愛のつもりだったけれど、
やっぱりツグに手を取られていたな、と反省も。
(いや、溺愛より、今くらいでちょうどいいのか?笑)


・・・とまあ
そんなわけなので!

これからも、なんとか時間をひねり出して、
書いていきたい所存であります。
はい。
(ついに睡魔に打ち勝てず、
カクンカクンとなり、
あああああああああああああああああああ
みたいなタイピングになり始めたので、
強引に終了。笑)


これからもなるだけ書くぞ
エイエイオー
(心の俳句)

何のひねりもない。苦笑

さ、寝よ寝よー!!!

アキツグおでこ 
私の聖域3分の2
日に日に成長していくツグ。
数日前に生後10ヶ月になり、
あと2ヶ月経てば1歳になるそうな。
なんということでしょう。
時のたつ早さと言ったら、言葉にしようもないですね。


そんなツグも、夏の初め頃から、
ズリズリと床を這うようになり、
気づけば、座り姿勢もずいぶん安定し、
つかまり立ちもできるようになりました。

ずり這いの視線の先に、
私を捉えるやいなや、
ニコーッと満面の笑みを浮かべてくれる、
・・・という健気さも健在で、
相変わらず可愛い以外の何者でもない
ツグ氏なのだけれど、
つい先日気づいて、小さく仰天したことがあります。

それは、
「私、この10ヶ月、ツグに対して、
 ただの一度も、ほんの少しも、
 イラっとしたり、あーもう!と思ったり、
 煩わしく思ったりしたことない」ってこと。

大げさじゃなく。
ただの一度も。

すごい・・・・。嘘みたい。
素直にそう思いました。


上の娘の時は、
初めての子どもだったこともあり、
その可愛さには、常に不安や気負いがセットで。
(当時、その自覚はなかったけれども)

夜中何度も泣いて起きるとか、
抱っこでは寝るのに布団に下ろすと泣くとか、
「こーゆー時に限って」というタイミングで吐き戻すとか、
離乳食食べない、とか、
トイレの中にまで後追いしてくる、とか、
・・・・
とにかく日々、小さなガッカリが溢れていました。
どうしたらうまくいくだろう、と考えてしまうし、
そこから色々調べたりし始めると、
不安を煽られたりして、ドツボにはまるパターン。。
(トイトレの教材に15,000円使う
 誰かさんとかね。笑)


「可愛い」という気持ちに嘘はないんです。

でも、もうちょっと寝たい。
もうちょっと自由にしたい。
たまには自分のことだけ考えたい。

そう思えば思うほど、
その願いを叶えようと工夫すればするほど、
かえって、うまくいかなかったりして。
「こうすれば今度こそうまくいくかも」なんて
期待が勝手に膨らむ分、
そうならない現実が起きる度にガッカリ。
& そのガッカリが積もって、ストレスで。


しかも、第一子の時って、
まだ自分自身の母たる姿に理想が高いから、
日々ガッカリしてストレスためてる自分にも、
後ろめたい気持ちがあり、
とにかく可愛いと並行して
ネガティブな気持ちを抱くことも多かった。
そして、そのことをこんな風に言葉にするのも
どこか怖いような気持ちがありました。
ネガティブな感情を持ってはいけない気がしていたし、
言葉にすると、そのネガティブが明確になりそうで、
周りにもそこまでぶっちゃけられない時期もあったり。
(少しの時を経て、そーゆー部分まで愚痴れるようになると
 一気に楽になったけれど!)


そして、第二子は、と言うと、
うちは女→男だったことも手伝ったのか、
とにかく可愛いの種類が違いました。

あとは、一度経験があるということが、
こんなにも育児の心を強くするということを、
何度も何度も実感。

第一子特有の手探りブラックボックス状態
(全てが初めてで、あまりに未知数で、
 これでいいのかも、いつまで続くのかも、
 専門家に聞くほどなのかもわからず、
 とはいえ、放置するには責任が大きすぎる、あの感じ)
が、育児にとって一番負荷が高いのだと感じました。

第二子では、
「そもそも子どもってこんなもの」
「これもずっと続くわけじゃない」
みたいな気持ちや経験がベースにあるし、
余計なジタバタも期待もだいぶマシになるし、
自分が決して神聖な母ではない、ということも
上の子を通じて受け入れられているので(笑)、
日々のガッカリ度は随分減った気がします。

ただ!
それでもね。

今度は、第一子の経験があるが故、
ある程度の予測が立てられてしまうせいか、
それがガラッと外れるとガッカリだし、

子どもが1人→複数に増えたという
手間の増大っぷりに疲弊しているので、
時折、第二子にも、
「あーもう!今寝てくれたら!」とか思うわけです。
夜中に何度も泣かれたりすると、
「ゆっくり寝かせて」とか思うわけです。


ところがところが、
第三子。

冒頭にも書いた通り、
気づいたらこの10ヶ月、
ツグに対してはネガティブな感情が
不思議なほどなかった。

なんでだろ、って考えてみたんです。

もちろん上2人分の経験と
そこからくる大らかさ(適当さとも言う)が
自分に備わっているから、
というのが一番だとは思うし、

ツグ自身のどっしりとした性格にも
助けられていると思うんですが、

でももう一つ、大きな要素として
思い当たったのが、これ。

ツグに対する私の気持ちが、
「申し訳なさ」と「有難さ」から入っているからかな、と。

・・・・
とにかく、上2人との日々の中で、
ツグは連れ回すしかない、
どんなに泣いてようが後回しにするしかない、
1対1で相手してあげる時間なんてほぼゼロ、
という状況の中、

この子にはプラスの働きかけを
してあげられていない、
みたいな気持ちが常に私の中にある。

だから、ギャーギャー泣かれても
嫌な気持ちになるどころか、
すぐに相手できないことが純粋に不憫だし、

夜中に授乳が続いても、
「私がこの子に満足にしてあげられるのなんて
 授乳くらいなんだから、存分に飲めばいい。」
くらいの気持ちになる。
聖母!笑

それに、離乳食だって、
私が手間を惜しんでしまい、
8ヶ月過ぎても、ほぼ母乳で粘っていたら、
検診で体重の伸びが悪いことを指摘され、
2週間後に再測定の指導になってしまった。
「この2週間、離乳食の回数と量を増やしてね」と。

そこで初めて「やっぱ足りなかったかあ」と自覚…。
(こまめに体重なんて測ってあげてないから)
ますます不憫です。
心からごめん、みたいな気持ちに。

それで、重い腰を上げて、
2週間、離乳食をちゃんとあげてみたら、
もうめっっっちゃ食べる。
鳥の雛みたいに大っきなお口を開けて、
ちょーだいちょーだいと言わんばかりに!

「ああ、今までも食べたかったんだな」と思う。
そして、またごめん、と。

そしてそして先日、
2週間後の測定に行ってきたら、
標準の2倍のスピードで体重が増えたことが判明。
「そっか、伸び代はあるのに、
 私があげてなかっただけよね。
 もう、ツグごめんねーーー」と思うの巻。

一事が万事、こんな感じです。
しょっちゅう、ごめん、って思ってる。


でも、ごめん、ごめんと言っていますが、
誤解を恐れずに言えば、
自分を責めまくっているわけでもないんです。


私のキャパが、どうにも足りなかった。
だから、ツグにしわ寄せがいってしまった。
そのことが、純粋にごめん!の気持ち。
でも、その一つ一つが、
この子の一生を揺らがす一大事じゃないことは
どこかで知っていて、
むしろ自分のキャパ拡大を望むと
かえって自分の首を絞めることも知っていて、
しかも、これ以上は気をつけてみたいな時は、
今回の測定みたいに、そのことに気づかされるキッカケが
起こることもなんとなく知っていて、
そこから挽回もほとんどの場合効くのだと知っていて。

それらが漠然とした安心材料として
私の育児を支えている。
これが、第三子育児の強みだと。

だから、申し訳なさも間違いなく本心。
でもそれと同じくらい、
そんな私に付き合ってくれるツグに感謝しています。
心の底から。
ツグありがとう、っていつも思う。

だから、イラっともしないし、
あーもう!とも思わないのかな、って。

ただただ可愛く、ただただ申し訳なく、
ただただ不憫で、ただただ愛おしい。

そんなツグなのです。


先日も、つかまり立ちが嬉しそうなツグに
クローゼットから歩行器を出してきてあげました。

入れてあげたら案の定、ニコニコ嬉しそう。
インベーダーゲームの敵キャラみたいに
左右にゆらゆら自分で動く姿がツボで、
ツグUFOだわ、なんて愛でたのも束の間、

ツグが目新しいことになっていると気付いた
上2人が、争うように歩行器を押しまくる。
競争状態になってしまって、
ビュンビュン押されて、
助けを求める目で私を見上げるツグ・・。

私もそのスピード感に気が気じゃなくて、
救い出してあげたら、あっという間に歩行器は
上2人のおもちゃになってしまった。
あちゃー。

せっかくツグのために出してあげたのにねえ。
やっぱり不憫。笑

でも、
これが君のここしばらくの運命だ、
強くなるんだよ、ツグ。
としか言いようがない。。苦笑


あー、いつまでツグに
イラっとせずにいられるか、
私自身、見モノです。

とか言いながら、
案外すぐ、イラっとするかもしれません。
でも、まあ私だしそんなもんかな、という気もします。

せっかくだから続けよう!みたいな
気負いにならないのが今の良いところ。
私も母としての器が少しは太くなったかなー

「初イラッ」がどんなだったか、
むしろ記念に気にかけてみよう
とすら思っている夜更けなのでした。

そんな第三子讃歌。

手を揃えて眠るツグ 
↑手を揃えて眠るツグ。
ただただ癒し。

ツグ歩行器
↑歩行器に大喜び。
この直後、上2人の餌食に…。涙
先日アップした「しょーもない完璧主義」の
「後編」です。

前編では、
いかに私が(無駄に)完璧主義なところがあるか、
ってことと、

とはいえ、それも子育ての日々の中で
否応なしに打ちのめされ、随分丸くなったよ、
ってことと、

それなのに、先日、
染み付いた完璧主義がまだまだ残ってることに気付いて
笑うしかなかったよ、ってことを書きました。


今日は、その気付くキッカケとなった出来事を書きます。
子ども達のお風呂にまつわる出来事です。


おそらく子育て中の家庭では、どこもそれぞれに、
ボトルネックがあると思います。
(いつもいつも同じことで揉める、的な)
我が家は、まさにお風呂がソレ!

夕飯後、一息ついてからお風呂に入って寝る、
というのが、我が家のスケジュールだったのですが、
その「一息」の間に遊び始めると、
なかなか切り替えが効かない我が子達(上2人)。

「お風呂」を行動に移すことに、
それはもう時間がかかるのです。
入ろうと声かけ始めて、実際に全裸でお風呂場にいる、
という状態までに、1時間かかるとかザラ。
大げさでなく。

優しく言おうが、
「○時になったら」と約束しようが、
爆発して怒鳴ろうが、
なんだかんだ、あーだこーだと切り替えがつかず、

しかも、ようやく脱衣所に入ったと思ったら、
またそこから追いかけっこだの、
服を頭に引っ掛けてのお化けごっこだのが始まり、
しまいには、「トイレ〜」と駆けていって、
戻ってこないと思ったらトイレでまた遊んでる、という具合。
消臭剤の粒でゲラゲラ笑ってるとか。(謎)

もう好きにさせよう…、と、
私とツグだけ先に入ったこともあったんだけれど、
そうすると、遊びが落ち着く頃には、
2人とも眠くなっていて、
急激に機嫌が悪くなり、そこからグダグダ。

結果、3人全員がグズってるか泣いてるという状況の中、
私が声を荒げまくって、
孤軍奮闘することになってしまい、
もういっぱいいっぱいになるのです。

だから、何とか眠くなる前にお風呂に入れたい!と
また翌日から頑張ることになる。
「お風呂に入る」というただそれだけなのに
「あれ?デジャヴかな?」と思うくらい、
毎日同じことの繰り返しでゲッソリ・・。

更には、入ったら入ったで、
そこからまた遊びが始まり、
髪洗うよー、身体洗うよー、ホラーっ!!と
もうひとバトルありまして・・・

この悩みと、かれこれもう長いこと
格闘していた私でした。
それに、お風呂が遅い=寝る時間も遅い、
というのも派生した悩みでして。


ところが、先日。
それはもう蒸し暑い日。

泥んこ幼稚園で泥だらけになったキュンタロウと、
抱っこ紐でお互いに汗だくになった私とツグと、
3人で帰宅して、さすがにそのままシャワーへ直行!

泥と汗を洗い流すついでに、
髪も身体もザーッと洗ってしまい、
「もうお風呂に入らなくていいね!」と
お風呂から出た日がありました。

ほどなくして一番上の娘も小学校から帰宅。
「ママ達さっき先にシャワーしちゃったから、
 みはもシャワー浴びてきたら?」と勧めたら、
「そうだね!汗だらけだしね!」と
あっさりシャワーへ行き、ササッと洗って出てきます。


その後、いつも通り夕飯を食べて、
ハタと気づきました。

「は!今日はもうお風呂がないんだ!」と。

娘もこう言います。
「ママー、もうお風呂が終わってて楽だねー!
 少し遊んだらもう寝れるねー!」と。

そして、本当に、30分ほど遊んだら、
「眠いから寝るー」と寝てしまいました。

遊び相手を失ったキュンタロウも、
一人で少し遊ぶものの、
すぐに「ママもう寝よーよー」と言います。
そして、寝かしにかかったら、
ツグ共々コテっと寝てしまい。

そこから、残りの家事をやったら、
一人時間すら持てた。


・・・あれ????


前日までが嘘のようにスムーズ。
拍子抜けすぎて目が点の私です。

それで翌日や翌々日も同じようにやってみたら、
やっぱりスムーズ・・!!

しかも、早寝してくれるものだから、
翌朝も自然と早起きだし、
機嫌も良くて、何かとやりやすい。

「もう少し早く登園してもらえたら助かります〜」なんて
先生にチクっと言われたこともある我が家ですが(苦笑)、
早起きになったら、登園も早くできた。

そして、子供が増えて以来、
本を読んであげる時間が取れないと
ちょっと気になってたのも、
夕飯後のまったり遊び時間に読んであげることができ、
穏やかにベッドに入れたりとか。

夕飯後、「あとは寝るだけ」というのが
こんなに心のゆとりにつながるとは、
思いもしませんでした。

遅寝に罪悪感を感じずにもいられるし。

・・・
なんか、ほんとにほんとに
いいことしかない!!


「帰宅後、すぐにお風呂を済ませる。」
これをやっただけなのに、
すべてがこんなに違ってくるなんて。
嘘のようでした。


そして、当然思うわけです。
「なんで今までこうしなかったんだろう…」と。


実は、このお風呂問題と長く戦っていた私は、
子どもの寝る時間が早いという友達に、
いつもどうしているか尋ねたことがあり、
確かにその子が言ってたんです。

「園から帰ってきたら、まずお風呂」と。
そのために、帰宅時間に合わせたお風呂予約を
朝のうちにしておくと。


それを聞いた当時の私は、思いました。

「なるほど、確かに、それも手かも。
 でもなあ・・・」と。

思考としては、こんな感じ↓

お風呂後に夕飯にすると、
また夕飯でこぼしたり汚したりするもんなー。
そしたらもう一回洗うの手間だなあ。

帰宅から寝るまでに
4・5時間くらいあるよね。
またそこから汗かいたりしないかな。
やっぱり寝る前がいい気も。

身体が温まった方がよく眠れるっていうし・・・。
etc.

そんなこんなで、「先にお風呂」案を、
取り入れずにここまで来たのです。


しかし。先日、
これらの却下理由を、改めて振り返って、
ただただ苦笑いでした。

これぞまさに、染み付いた
完璧主義と最上志向の典型例じゃないかと。


せっかくお風呂に入るのだから。
↓↓
どうせなら、一回で効率的に済ませたい。
どうせなら、1日の汚れを最後に全部落としたい。
どうせなら、より良い眠りにつなげたい。


的な・・・苦笑。


1回で効率的に済ませたい?
何言っちゃってんの?

もし食べこぼしたら拭けばいい。
拭くで済まないなら、サッと洗って、着替えればいい。
子どもだって不快を伴うから、
そこそこ素直に応じるだろうし、
きっと所要時間も10分程度では?
かたや、夕飯後にお風呂に追い立てるのに1時間だよ?


1日の全部の汚れを落としたい?
笑っちゃうZE。

仮に4・5時間あるとしても、
その間で出る垢なんてたかが知れてるだろーっ
しかも、先にお風呂を済ませることで、
夕飯から寝るまでの時間も短くなって、
実際は4・5時間もなかったよ。


より良い眠りにつなげたい?
・・・もう呆れるったら・・・。笑
むしろ遅寝遅起きの方が、
眠りの質としても、成長のためにも良くないよね。
体が温まる効果…。チーン。


以上・・
しょーもなさすぎる完璧主義。

というお話。苦笑


この完璧主義と最上志向に捉われるあまり、

ただひたすら毎日、
無限ループのような「お風呂入らない問題」と格闘し
ゲッソリ消耗してた。
きっと子ども達だって消耗してた。
私はバカかね?!と。


いや、別に、日々のお風呂の際に
「1日の汚れを落としたる!」って
鼻息荒く意識してたわけじゃないんだけれど、
かつて完璧主義をもとに判断されたまま
習慣のように残ってた「寝る前お風呂」ルール。
それに疑問を感じることなく、自然と縛られてた。


性分とか気質って強いなあ…
しかも、ほぼ無意識だから、余計に強い。

完璧主義だって、最上志向だって、
良い面もあるし、それに助けられたこともあるから、
それそのものが悪いんじゃないけども。

ただ、つい無意識レベルに染み付きすぎてることで、
良くない作用になってることもあるよね。

そんなことを思った出来事でした。

きっと他にもあるんだろうなー。あるよある。
これからちょっとそこを意識して、
少しずつ気付けることがあれば、
まるで肩の荷が下りるように、
一つ一つ楽になれるのかもしれないなと思う私でした。


子育て8年目にして
まだまだ気付くこと、呆れることだらけだわ。
育児は育自、ってよく言ったものですね。

これからも引き続き、
曇り時々晴れな子育て修行道、がんばりますー。

いや、曇り時々雨時々雷時々嵐時々晴れ、かな。笑
このところ、イロトリドリの活動が楽しくて、
そっちばっかりやってたら、
ブログを放置しちゃってました。

しかも暑すぎて、体力消耗して、
寝落ちしてばかりの毎日。
それでなかなか書けずにいたけど、
やっとこ書きます。

先日気付いた「しょーもない完璧主義」について。



いや、昔から自覚はあったんです。
性格上、完璧主義なところがあると。


仕事も個人的なタスクも、
やるならキッチリやりたいし、

どうせなら、より美味しいものが食べたいし、
どうせなら、より沢山のものを見たいし、
どうせなら、より多くのことを経験したいし、
どうせなら、一度にまとめてやっちゃいたいし。
etc.

だから、旅行とか行くと、
つい欲張っちゃうタイプ。

「せっかくだし、ココとココとココをまわって、
 その途中で○○で名物を食べて、
 できれば、あの辺で休憩しつつ
 このエリアにも足を伸ばしたい…。
 そのためには、こう回れば効率的!」
的な。
(ええ、旅行の計画とかめっちゃ得意です。笑)

そのくせ、浮き草のような
のんびりした空気感に憧れたりもして、
(「旅先でひたすらボーッとする」みたいな)
試みたこともあるけれど、

”まったりのんびり風”を装ってても、
見たいもの食べたいものが頭をよぎったり、
「せっかくだし」的な貧乏性が勝ってしまって、
結局、動き始めちゃうんですよね。苦笑


そして、そんな典型例は旅行だけでなく、
買い物もズバリ。
気に入ったら直感で買う、みたいなのに心底憧れますが、
(まさに夫がこのタイプ。
 一緒に買い物すると、それはもう見事なまでに鮮やか)

現実では、「これいいな」と思った商品があっても、
他の店の同様の品と比べてみて、
「それでもアレがいい!」と思えないと買うに踏み切れず、
何店舗もまわって納得したいタイプ。
(夫には呆れられる)

しかも、大抵は、第一印象のものを買うことが多いくせに、
その経験を重ねてもなお、
やっぱり念のため他を見たくなるんだから、
もう性格としか言いようがないのです。
「もっと理想的なのがあるかも」という最上志向から
逃れられないんですよね。

我ながら厄介というか、手間がかかるというか。
時々嫌になることもあります。苦笑


・・・
そんな私ですが、
子どもが産まれて以降、
その完璧主義や最上志向にも変化が。
というか、変化せざるを得ませんでした。

容赦なく次々と押し寄せる
我が子の本能的欲求の数々と
圧倒的な論理の通じなさを前に、
”私の理想のやり方”なぞ、
コテンパンに叩きのめされまして。


本当はこの方がどう考えったて効率もいいし、
結果も良いだろうとわかっていながら、

子どものペースや
(近道だけど急な道より、結構遠回りだけど楽な道を選ぶとか)
子どもの機嫌や
(絶対こうじゃなきゃヤダと喚くから、
 良くない結果を招くとわかりつつ仕方なくやらせるとか)
子どもの緊急性などなど
(おしっこ漏れる!とか、転んだ!とか)

そんなんに付き合っていると
効率なんてそっちのけになることばかり。

より良い結果を目指すより、
惨事にならないところで手を打つことを
選ぶ場面ばかり。笑

そんな日々の中で、
「きっちりやりたい」
「できる限りベストを目指す」的な志向は
否応ナシに丸くなっていき、
徐々に徐々に諦めることとなりました。

今では、
「これくらいやれれば、もう御の字!」
「ベストでなく、そこそこで手を打っても、
 想像以上に満足度って高いものだ。」
「たとえ思うようにできなくても、
 とりあえずやってみることに価値があるさ」
みたいな思考も、日常に根付くようになりまして。

いやー、ほんと、ここまでよくやってきた!

もちろん、叩きのめされる過程では、
それまでの馴染んできた価値観を
曲げなければならないことに
随分モヤモヤ・イライラと葛藤したものですが、

今となっては、結果的に
生きるのが楽になった気もしていて、
むしろ今の方が好きだったりします。


そんなこんなで、
随分と完璧主義を手放したつもりの私でした。

私でした。



・・・が!


性分とは恐ろしいもので、
先日、無意識にもまだガッツリ残っていた完璧主義に
気づく出来事があり、
その染み付き具合に苦笑いをしたのです。

あまりにもしょーもない完璧主義。


そして、それをやめてみたら、
呆れるほどに色々うまくまわるようになって、
「なんで今までやらなかったんだろう」と
口があんぐりだった話。

その出来事をブログに書こうと思い、
書き始めたのですが、もう既にここまでで、
いつもの長さになってしもうた・・。苦笑


というわけで、
前編と後編に分けようかな。笑
(というわけで、タイトルに-前編-と付けてみる)

なんかいつも、全部書き切ってから
アップしようと思うから、
なかなかアップできないという現実もあるし。

前編は、私の完璧主義のただの紹介みたいに
なっちゃったけども。苦笑


世の皆さんの中には、
旅先で本当に心からボーッと過ごせたり、
買い物で直感のままに買ったりできる人も
いるんだよね。

それ、なんか羨ましいなあ、
なんて思っている3連休初日でした。

しょーもない出来事の後編も、
3連休中に書けますように!

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