LIFE is Rafting !!

いつか振り返ればきっと一瞬であろう、まるで”おとぎ話”な怒涛の子育て記録。

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「第三子は孫のよう」とは本当か?

 30, 2017 15:40
日一日とツグ氏が大きくなってゆきます。
つい1週間ほど前に、6ヶ月を迎えたツグ。

あーついに、ハーフバースデーなるものを
祝うことは、3人ともになかったな。
”大人の事情で作り上げられたイベント感”に
馴染めない、ひねくれた私。笑

あと、第一子の時には、
「ついに半年まで来た!」と嬉しかった6ヶ月も、
第三子ともなると、
「もう赤ちゃんの半分が終わってしまった…」と
誇張抜きに寂しくて、
もはや祝うというより切なさが勝る状態。

身体も表情も空気も…何もかもが柔らかい
赤子特有のこの状態でずっといてもらえないものかと、
心から思っている今なのです。

そんな私ですから、
あらためて言うまでもなく、
ツグは、ただただ可愛い。
泣いても、夜中の授乳があっても、ただ可愛い。
それは、本当の本当に本音です。


ただ、今でこそこうですが、
ツグを妊娠した時は手放しに喜べず、
不安と戸惑いと罪悪感とで、視界が暗かった私。
その時のことは、ブログにも思い切って書きました。

でも、妊娠を徐々に徐々に受け入れていく中で、
それこそ多くの人にかけてもらったのが
こんな言葉です。

「心配いらないよ、孫のように可愛いから!」
「大丈夫よ、三番目はもはや孫って言うじゃない。」etc.

それらの言葉は、大きな安心材料として、
私を支えてくれましたが、

その一方で、
「第三子は孫のよう」という言葉が
もはや慣用句化している気もしていて、
ある種、決まり文句のようなものかなぁという気持ちも
正直どこかにあったのです。
「病気だ」と言えば「お大事に」と反射的に言うような…。


そして、まさに「第三子」を目の前にした今、
その真相を個人的に表してみるならば、

「確かに孫かもしれない・・」
という感覚がしています。


ま、極端な話、
まだ孫は持ったことないわけで、笑
孫を持つ人の気持ちは推測しかできませんが、

孫という存在の可愛さがどこから来るのかを
私なりに想像すると、

--------------
自分に直接の責任はないけれど、
血は繋がっていて、しかも、
過ぎ去った子育ての尊さや幸せを思い起こさせてくれる
---------------

というところに
その可愛さの源があるのかな、と思うんです。


・・・だとすれば、
確かに、ツグに当てはまる・・。

ま、”直接の責任”は私や夫にありますが(苦笑)、
でも、
「過ぎ去った子育ての尊さや幸せを思い起こさせてくれる」
・・・この点においては、
まさにその通り。


いや、私は子育ての渦中も渦中にいて、笑
まったくもって”過ぎ去っ”てはいないけれど、

過去、上2人が赤ちゃんだった頃には、
ゆっくり味わう余裕もなかったような
(或いは、それが貴重だと知る由もなかったような)
そんな、小さな小さな赤ちゃんらしさの数々に、
今、度々ふわーと包まれております。


例えば、おっぱいを飲み終わって
満腹で眠りについた時の、
ぶしゅーとつぶれたような唇の形とか、

寝るか寝ないかの瀬戸際にいる時の
白目のような状態とか、

嬉しそうに興奮している時の、
「ハウッ、フグッ、ハウッ」という短い呼吸&
ばたつく手足とか、

抱っこをすれば、体重も頬も柔らかなこぶしも、
全てをクタッと預けてくる感じとか、

歯のない笑顔の口元とか・・・。

挙げればキリはありません。

しまいに私は、
授乳期特有のあの甘酸っぱい「大」の匂いが、
むしろ良い香りに思えてきて、笑
敢えて嗅ぎたいとすら思っているほど。(重症)


思えば、一人目の時は、
とにかく全てが初めてで気負いもあり、
「可愛い」のは間違いないにせよ、
どこか切迫した必死さと背中合わせでした。

良いことにも不安なことにも、
その両方に、とても敏感な必死さ。
もちろん、その感性だったからこそ感じられた
子育ての醍醐味も必ずあったと思ってます。

でも、今のツグに対する心持ちや可愛さと、
一番上の娘が赤ちゃんだった頃の心持ちや可愛さは
全く別物な気がするのです。


そして、二番目が赤ちゃんの頃。
こちらは、一人目の時と違って、
経験者であるという、心強さがありました。
だから、二番目に対しては、
↑で例に挙げたような可愛さを、
それなりに感じていたと思うんです。

ただ、今と何が違うかというと、
子どもが1→2に増えたという新ステージに
とにかくてんやわんやだったこと。

赤子に十分に構えないもどかしさ、
上の子に優しくしたいのにできない自己嫌悪、
2人の子どもが常に自分にベクトルを向けてくるため、
優先順位が混乱しっぱなしで、
いつもいつも、いっぱいいっぱい。

だから、二番目に癒されつつも、
「このキャパオーバーな感じがいつまで続くのか」と
長いトンネルのような気持ちも共存していました。
夫との諍いも増え、イライラも徒労感も倍増。

そんな境遇の中で、やはり、
今ほどの赤子堪能はできなかったように思うのです。


そして今。

子どもが2→3に増えたのは新ステージではありますが、
1→2のテンパリ度に比べたら、
おや…?なんだかだいぶ軽い…?
「2人も3人も一緒よー!」と言っていた人の気持ちが、
ほんのりわかる気がするほどです。
いや、ほんのりですよ、ほんのり。
決して一緒ではありません(笑)。

まぁ考えてみれば、赤ちゃんも初めてではなく、
子どもが複数という状態も初めてではなく、
更に、一番上はそれなりに年齢が上がっているので
だいぶ手が離れてきていて、
しかも、1と2が一緒に遊ぶことも多いことから、
子ども達のベクトルが自分に常時集中するわけでもない。

もちろん、3人ゆえ、
単純に手が足りない、とか、物理的にどうしようもない、
という白目な事態は今の方が多いし、
イライラもMAXだったりするのだけど、

でも、あの「長いトンネル感」が薄い。

「何とかなることがなんとなくわかっている」
ということが、これほどに自分を支えるとは
思いませんでした。

子育てにおける一番の不安やストレスの素は、
先が読めないこと、自分にとっての先例がないこと、
じゃないかと思うんです。
そういう意味では、
1→2より、2→3の方がメンタルはずっと楽かもしれない。


つまり、そんな今だからこそ、
「赤ちゃん」という存在の貴重さと可愛さが
日々、胸に沁み渡ります。

「赤ちゃんって、こんなに可愛かったんだな…」

それは確かに知っていたはずのことだったのに、
私が知っていた以上の比重で、
本能に迫ってくる感覚がするのです。

可愛くて仕方がない・・。


もちろん、この可愛さは、
上で書いたような、
心のゆとりだけから来るものではなく、

物理的に日頃あまり構えないという罪悪感が
更に可愛さを倍増させていたり、

ツグ本人が、3番目ゆえなのか、
あまり神経質な気質ではなく、
どっしりとにこやかな質だからこそでもあったり、
(赤子界の神対応、と思うこともある)

何より私が、人に頼る術や
「もうこれは仕方ない」と手放す術、
「まーいいじゃん!」と自分を甘やかす術を
以前より学んだという事情もあったり、

そんな諸々の複合的な背景により、
「可愛くて仕方ない」ということではありますが、

--------------------
「第三子は孫のよう」とは本当か?
--------------------
という問いに、一旦答えを出すとするならば。

今のところ「孫のよう」と言えそうです。


あくまでも「今のところ」というのが
ミソですけれども。苦笑


その内、どんどん動くようになり、
姉兄に早くから鍛えられて、
やんちゃ全盛になった日には、
このブログを撤回したくなるかもしれません。
「あの日の無知な発言を撤回します!」と。
(現に友人にそんな経験をした子がいる。笑)

でも、今、この瞬間には、
間違いなくこんな風に君を思っているよ、という
この今の私の心持ちを、
こうして残しておければ、と思って
このブログを書きました。


そして、これを書いている間も、
私の横でバウンサーを自ら足で動かしながら、
ニコニコ揺れて眠そうなツグ。

五月の午後の陽だまりの中。
ああ、なんて柔らかな光景なんだろう。

・・・・
ツグ、いつもごめんね。
ありがとう。
不安もまだまだあるけれど、
君が生まれてきてくれて良かったと、
母は今、確かに思っています。

満腹で眠ったツグ 
↑飲み終えて満腹で眠ったツグ

toiletのベビーチェアのツグ 
↑toiletのベビーチェアに
初めて座らせたら嬉しそうの図
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